裏・E・HERO
なんだっけ?そうそう、あの石田ボイスのエドちゃんご愛用のE・HERO。
完全な裏ルートということで融合素材がE・HERO フレイム・ウィングマンと全く同じ!!しかも後付けのクセにこの2枚の効果を天秤に掛けたとき、明らかにネタギレというか、劣化ヴァージョン。
効果については同類項進化系のE・HERO シャイニング・フェニックスガイを参照のこと。ここではなんだか分からない話をグダグダグダグダ進めていきます。
グダグダ・・・
まず最初に断っておくと、私はアニメを見ていません。その上でなんとなーく知っていることを頼りに話を進めていきます。
最近はこういうこともちゃんと書いておかないといけないと学んだ私。
◇フェニックスガイの立ち位置
主人公と同じカードを使いつつ、主人公のそれとは別の流れを組むことからこのキャラはライバル的存在であるということがわかる。
ただ、その流れが劣化ヴァージョンになっていることから、完全な相対キャラとして描いたわけではないのだろう。
でもこれは結構不思議な話で、最初は主人公サイドが劣勢で話が進み、後半で逆転するという「遊戯王の試合を描く際の基本的な盛り上げ方」の枠にとらわれていない。
で、そのままいくとただの劣化主人公でさらりと負けて終わるだけで出現の意味は全くなくなってしまうのだけど、もちろんさらりとは負けない。なぜなら、このキャラの基本スタイルがE・HEROでないから(D−HEROの存在)。
DがEとライバル関係にあるのは一目瞭然なんだけど、ただ対比させたいなら最初からエドはDだけ使えばいいはず。
そうしないのは同じデッキでDとEが共存することでEの弱さをより引き立たせるというか、Dが上位互換であるということを示したかったからだと思う(おそらくこのタイミングでD−タイムは使用されたはず)。
そう考えると先ほどの「劣化効果」に収まったのも納得がいく。強化されてEでEに勝ってしまうとDの味が出ないまま終わってしまうからね。フェニックスガイが劣化効果なのは必然的ってことか。
普通に「専門分野じゃないから劣化になった」といういいわけもできるけど、それなら最初から使うなよって話になるので先の理由より弱いからダメ。
◇エド・フェニックスの立ち位置
主人公と同じ路線で、その上を行くキャラのなすべきことは一つ。常勝で心に脂肪のつきまくった主人公を完膚なきまでに叩き潰すこと。いわゆる均衡、マンネリを叩き潰すための存在(これはいかなるドラマにおいても同じ)。
で、実際に主人公は負けてへこたれる事になったはず(多分辞めるやめない議論ぐらいまでは行ったんじゃない?)。
このことはこれまたドラマのベタである主人公の新カードの登場(E・HERO ネオス)からわかるんだけど、ユーザーから言わせると余計に迷走しているような気がしてならない。
もっと率直に言おうか。正直この段階でE・HEROに見切りをつけて欲しかった。
一度負けたヒーローが復活、強化されてリベンジを決めるというのはヒーロー漫画ではベタな話でそれ自体を否定する気はないんだけど、融合その他もろもろEという存在に意固地になりすぎている気がする。
強化されるならEとDとの命運を分けた「融合」というシステムに対ししっかりとした答えを出すべきだった。
ネオス系の融合カードがいらないという答えだけではDのインパクトに対しあまりにも弱すぎて結局Eが劣化である事実がプレイヤーの中でひっくり返らない(ここでさらにD劣化というインパクトを与えることこそがエド・フェニックスを登場させる意味だったと思うのだが)。
DとEの双方の溝が埋まらないままEが勝ってしまうと、じゃあ一体エドって何がしたかったのか、先にEとDを対比させた意味ってなんなのか、という話になってしまう。ただ主人公負け→新カード登場ならEとDの差を見せつける必要なんてないわけだし。
必要なのはDを超えるEを出現させることだったのに、Dの強さを見せ付けただけで終わってしまっている。
話としては主人公がDを受け継ぐ流れにしたほうが新天地っぽいし、実際に強化されてるし、何より私たちも嬉しいのに。
結局何が言いたいのかというと、そろそろE・HEROに愛想が尽きてきたということだ。話の流れ的には悪くないと思う。
ただ、アニメとOCGとのギャップがありすぎて、今の<Dより弱い劣化E・HEROシリーズ>ではプレイヤーは満足しないんだよなー。